北海道ターゲットブログ

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日ハム、歴代キャプテン

 

日本ハムファイターズから

2020年シーズンのキャプテンに西川遥輝外野手が

就任することが発表されています。

本拠地を札幌ドームに移転以降の

日本ハム歴代キャプテンは西川選手がで10人目となるようです。

 

ここでその10人の歴代キャプテンを並べてみました!

 

 

日本ハム歴代キャプテン


2004年 小笠原道大
2005年 小笠原道大
2006年 田中幸雄
2007年 金子誠
2008年 金子誠
2009年 稲葉篤紀
2010年 稲葉篤紀
2011年 稲葉篤紀
2012年 田中賢介
2014年 大引啓次
2015年 宮西尚生
2016年 大野奨太
2017年 大野奨太
2018年 中田翔
2019年 中田翔
※2013年は不在

 

 

キャプテン時代〜現在まで

小笠原道大(2004年・2005年)

日本ハムが北海道に本拠地を移転した2004年、

そして2005年と2年間キャプテンを努めた。

常にチームを引っ張り、2006年のリーグ優勝、

日本一におおいに貢献したのが小笠原だった。

2007年シーズンからは巨人へ移籍、その後中日へと移籍し2015年には引退。

そしてなんと今季からは日本ハムの一軍ヘッド兼打撃コーチとして14年ぶりに日本ハムへ復帰することが決まっています!また札幌ドームで姿が目られるのは楽しみですね!

 

田中幸雄(2006年)

当時監督であったトレイ・ヒルマンの起用法に不満を感じたチームメイトを激励するなど、精神面でもチームを支えた田中幸雄小笠原道大の移籍後は一塁手で先発出場する機会が増えた。この年、史上35人目の通算2000本安打も達成したが引退。

その後は野球解説などをしていた。2009年日本ハムの二軍打撃コーチに就任後は、

一軍打撃コーチ、二軍監督も経験している。2017年体調不良を理由に二軍監督を退任した後はテレビやラジオで野球解説をしている。

 

金子誠(2007年・2008年) 

キャプテンに就任した2007年、シーズン序盤は打線全体の低調ぶりと相反して金子の打撃は好調だったためクリーンナップを打つこともあった。

翌年は開幕から打撃不振でケガもあり絶不調に陥ったが、2009年は日本プロ野球新記録となる7試合連続二塁打を放った。月間打率.423が評価されてパ・リーグ月間MVPにも選ばれた。2010年は体の不調もあり二軍降格。その後も成績は低迷し出場機会を減らしたことで、2014年9月現役引退を表明した

2018年からは一軍内野守備コーチ、2019年は一軍打撃チーフ兼作戦コーチ、2020年シーズンは一軍野手総合コーチとしてチームを支える。

 

稲葉篤紀(2009年・2010年・2011年)

2009年、監督の梨田昌孝より直々に主将の座に就くことを命じられた。この年は自身初となる3打席連続本塁打、延長12回裏にのサヨナラ本塁打など大活躍した。

2010年、不振に陥り、一塁手として34試合の出場に留まった。肩を痛めた影響もあり、開幕戦を初めて指名打者で迎えた。右翼手に陽が定着したことから、指名打者に他の選手が入る際には主に一塁手として起用された。打撃は開幕直後は好調を維持していたが、6月には月間打率.169に終わるなど不振に陥る。7月には月間MVPを獲得するもシーズン終盤に再び不振に陥り、先発を外れることもあった。

2012年、プロ18年目にして初となる開幕戦における3安打猛打賞を記録した。開幕からは6戦連続で2番に座ったが、その後は主に5番打者として活躍し、打率はリーグ7位の.290、得点圏打率はリーグ6位の.306、長打率はチームトップの.421を記録し、チーム3年ぶりとなるリーグ優勝に貢献した。2013年から一軍コーチ兼外野手となる。

稲葉が打席に立つと自然と始まるのが稲葉ジャンプ。ファンの一体感が生まれていた。

惜しまれながらも2014年引退した。最近では第2回プレミア12にて監督として日本を大会初の優勝へ導いた。

 

 

田中賢介(2012年)

キャプテンとして迎えた2012年。

6月まで打率.332と首位打者を争う活躍を見せるも、8月左腕を骨折。そのままシーズンを終え、ポストシーズンでの出場もなかった。11月には「今年はどんなことがあろうと挑戦しようと決めていた。けがをしても揺らぐことはなかった」、海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明サンフランシスコ・ジャイアンツマイナー契約をした。

その後、2013年12月テキサス・レンジャーズマイナー契約を結ぶが、2014年7月には本人の希望で契約を解除し自由契約となった。12月、古巣の北海道日本ハムファイターズが獲得を発表し、引退となる2019年まで活躍を続けた。2020年1月1日付で「スペシャルアドバイザー」に就任。今後どのような活動をしていくのか気になる所ですね!

 

大引啓次(2014年)

オリックスから移籍して2年後の2014年からキャプテンを務めた。移籍2年目の選手としては異例の起用だった。シーズンでは自己最多の132試合に出場したが、前年と違って打撃不振に苦しんだ。同年オフには出場機会を求めて国内FA宣言を行い、11月にヤクルトとの契約締結合意が公示された。

2015年は開幕からスタメンで起用されたが、2016年、腰痛での登録抹消もあったが100試合に出場し打撃成績も良化した。2017年は左肩を負傷し、80試合の出場に留まり、2018年は春季キャンプで離脱し、開幕2軍スタート。2019年には、レギュラーシーズンの開幕から一軍起用されチームがリーグワーストの16連敗ストップにも貢献した。しかしシーズン終盤戦力外通告12球団合同トライアウトへ参加しない一方で、他球団からの獲得のオファーを待ったが、オファーを受けるまでに至らなかったため引退した。

 

宮西尚生(2015年)

国内FA権の行使によって移籍した大引啓次の後を受けてチームのキャプテンを1年間務めた。この年、オールスターゲームにも、パ・リーグの監督推薦選手として初出場を果たした。NPB歴代3位の8年連続一軍公式戦シーズン50試合登板を達成したが、左肘の遊離軟骨の痛みに悩まされ9月登録抹消。左肘手術を行った。そのリハビリ中でもあった12月自宅前で転倒し右手第5中骨を骨折。そのままキャプテンとしてのシーズンを終えた。

2016年、左肘手術の影響で、公式戦の開幕を二軍でスタートしたが4月上旬から一軍へ復帰すると、前年を上回る58試合に登板した。NPB史上2人目の一軍公式戦通算200ホールドの記録。シーズン通算でもリーグトップの39ホールドを記録し、パ・リーグ最優秀中継ぎ投手のタイトルを初めて獲得した。シーズン中には海外FA権の取得要件を満たしたが、権利を行使せずにチームへ残留した。2017年には一軍公式戦51試合に登板。2018年には一軍公式戦55試合に登板。史上4人目の600試合連続救援登板を達成した。2019年、シーズン通算のホールドポイントは自己最多の44で、最優秀中継ぎ投手のタイトルも2年連続で受賞した。この年が2年契約の1年目に当たることから、シーズン終了後の11月29日に、推定年俸2億円という条件で契約を更改。2020年シーズンの活躍にも期待されている。

 

大野奨太(2016年・2017年)

キャプテンとして迎えた2016年シーズン、2年ぶりに開幕戦を先発出場し、4月には自身2年ぶりとなる本塁打、7月には2打席連続の本塁打を放つなど、打撃成績では安打・打点・犠打数で自己最高を記録、年間を通して正捕手の座を守り一軍出場数でも自己最高を記録した。

2017年は一軍公式戦83試合に出場。しかし、右肘を故障した影響で、打率.221、3本塁打、13打点、盗塁阻止率.098と低迷した。シーズン終了後には、内視鏡による右肘の手術(右肘関節内遊離体除去術)を受けた。レギュラーシーズン終了後、海外FA権の行使を表明。そこで本拠地ナゴヤドーム)が大野の地元・東海地方を拠点とする中日ドラゴンズが、捕手陣を強化すべく大野の獲得交渉に着手。12月中日への移籍を決断しファイターズを去った。

現在も中日ドラゴンズに所属している。

 

中田翔(2018年・2019年) 

チームキャプテンに任命され迎えた2018年シーズン、「初心に帰ってがむしゃらに戦いたい」と語りキャンプインした。開幕戦では、7年連続での「開幕4番」を務めた。この年、プロ野球通算1000安打を記録した。

2019年、開幕戦では10回1死満塁。左中間スタンドへ、劇的サヨナラグランドスラムをたたき込んだ。前打者2人が申告敬遠で歩かされた後の打席だった。開幕戦でのサヨナラ満塁本塁打は、史上3人目の快挙。チームに4年ぶりの開幕戦白星をもたらした。

今シーズンの活躍にも期待したい。

 

2020年シーズン

西川遥輝キャプテンで迎える2020年シーズン。

www.nikkansports.com

キャプテンとしてどんな姿を見せてくれるのか楽しみですね!

プロ2年目の吉田輝星や、プロ1年目の河野竜生がどんな活躍を見せてくれるでしょうか。みんなで応援しましょう!

 

 

 

 

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